真宗大谷派 新潟教区
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光傳寺

06-05-24 光傳寺

1 光傳寺(こうでんじ)は、掲載写真のようにご門徒さんと共に歩むお寺です。
信濃川流域の長岡市福道の地に、南無阿弥陀仏の草庵として始まって以来、地域の皆さんと共に活動して約400年の時が流れました。
近年は、お講・お回檀・お盆法要など、地域の人々の「集い」を大切にする従来からの活動を続ける一方、他方では、お寺離れが進み、地域の伝統的なコミュニティーの継続や家庭内の会話が難しくなってきている現状を思いながら、どのように仏教の真(まこと)を伝えていくことができるか日々模索しています。
また、「生安楽(しょうあんらく)」と名づけられた合同法要墓(永代供養墓)を建立しました。
「生安楽」は、①お寺が永代にわたり法要を行う、②お骨が永久に他と混ざらない埋葬形式を選択できるもので、こころから安らぎのあるお墓の仕組み作りを進めていく第一歩にしたいと考えて建立したものです。

2 次に、当寺の成立ちについて、「本願寺の東西分派」と「米百俵」の故事との関係に絞ってご紹介させていただきます。
① 本願寺の東西分派と光傳寺
本願寺は、石山合戦で織田信長と戦い豊臣秀吉の裁定で法主教如が隠居となりました。
1602年、徳川家康が教如に京都烏丸七条の地を寄進して教如を法主とするいわゆる東本願寺が創建され本願寺が東西分派しました。
中央から遠く離れた地方寺院も東西分派に至る歴史の波に翻弄されました。
富山県黒部市生地の梅沢山専念寺第十一世住職畠山正宗も翻弄された一人で、秀吉の法主裁定に逆らって斬首となり寺は破却されてしまいました。
この正宗の三男として生まれた了円は、父正宗の受難後信州の地を経て現新潟県長岡市福道町に至り、光傳寺過去帳に初代住職了円とされた人と伝えられています。
② 「米百俵」の故事と光傳寺
幕末の長岡藩へ三根山藩から救援米が贈られましたが、この米を飢えに苦しむ藩内の人々に分け与えず、人を育てる学校を建てた「米百俵」の故事は、未来の為に現在の痛みに耐えることの大切さを教えるものです。
この救援米は、新潟市西蒲区で約三百六十年前の1650年頃蔦都坊(つたいちぼう)という盲目の坊さんが行った新田開発の田から収穫された米と伝えられています。
蔦都坊は、光傳寺初代了円の長男で、父了円と共に長岡市に来て光傳寺の基礎となる念仏の草庵を建てて法を広め、盲目となった後は寺を離れ新田開発を行った鷲尾景量(わしおけいりょう)=廣傳(こうでん、道心して改名。)です。

光傳寺

1 お檀家や地域の人々の「集い」を大切にする従来からの活動

① お取越し報恩講 年1回 5月第4日曜日(5月28日)終了
当寺の最も大切な行事です。報恩講にだけ四幅の親鸞聖人伝絵が掲げられます。
また、10人を超えるお坊さんによるお正信偈と念仏和讃があがり、ご講師先生の法話、回り当番の人達が作る「お斉」がふるまわれます。
② お盆法要
8月1日 お正信偈と念仏和讃、住職法話、「お斉」があります。
8月7日 新盆の方々が家族と共にお参りし、また8月1日に来
られなかった方々がお参りします。内容は、1日同様です。
③ 二十八日講 年3回
親鸞聖人のご命日に継続して行っている集いです。
お正信偈と念仏和讃、住職法話、回り当番の人達が作る「お斉」があります。
3月第2日曜日(3月12日)終了 初お講として比較的大勢の方々が出られます。
7月第2日曜日(7月 9日) 梅雨の時期、ゆっくりとお参りできます。
8月7日 新盆のお参りの方々と一緒に、お参りします。
④ 仏っぷの会 年2回
少人数で、テキストを用いて身近な話題と共に、仏教の入門を学べる良い機会にしたいと考えています。
6月第3日曜日(6月18日)終了 春の会
9月第3日曜日(9月17日) 秋の会

2 合同法要墓「生安楽(しょうあんらく)」の法要
3月20日終了 春彼岸の中日の法要
8月13日 お盆のお参り
9月23日 秋彼岸の中日の法要

3 その他
・ 上記の開催日は予定です。また、出席費用が掛かるものもありますので、良くわからない方は電話でお問合せのうえ、予定を立ててご参加ください。
・ 年始・永代経法要・お回檀行事など、上記以外に参加者が特定される行事も多くあります。分からない点は、お問合せください。
・ 合同法要墓「生安楽」は、契約事項を遵守して頂ける方なら、どなたでもご利用できるお墓です。お問合せください。

所在地

〒940-2053
新潟県
長岡市
福道町673番地

電話番号

Tel. 0258-27-1211

Fax番号

Fax. 0258-27-1211

代表者氏名

鷲尾 惠水

寺院教会番号

06-05-24

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