暮らしと仏教はさまざまな場面でつながりがあり、私たち知らず知らずのうちに仏教の考え方や文化に出会っていることがあります。言葉の由来や習慣の意味を知ることで、新たな発見があるかもしれません。
よく耳にする仏教用語の意味を解説。さらに、普段何気なく使っているけど実は仏教から生まれた言葉たちについても、その由来をご紹介します。
ねんぶつ
「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」ととなえることを言います。法然上人の開かれた浄土宗では「念仏をとなえること」を大切にしますが、親鸞聖人の浄土真宗では「信心を伴って念仏をとなえる」ことが大切だとされます。
おとき
法事などのお勤めの後に振舞われる料理のことを言います。精進もの(肉や魚を使わない)が基本になります。
しじゅうくにち
正式には満中陰(まんちゅういん)と言います。亡くなってから七日毎のお勤めを行い、その最終締めくくりであり、大切な法事です。七日を七回繰り返して四十九日目に行うので「七七日」(しちなのか)とも言います。
ごほんぞん
手を合わせ、礼拝する対象として最も大切なものがご本尊です。浄土真宗では阿弥陀如来の立っているお姿を掛け軸や木像にしたもの、あるいは「南無阿弥陀仏」など、阿弥陀仏の名前を文字であらわしたものがあります。
じゅうしょく
そのお寺の代表として本堂の維持や法事・行事の管理をする人物のこと。お寺には住職の他に副住職、坊守(ぼうもり/住職の配偶者)、准坊守(じゅんぼうもり)といった人々がいます。
ぼだいじ
菩提とは仏教では「さとり」のことをいい、苦しみから解放された、いわば目指す最終目的になります。そこから転じて「菩提に関わる最も大切なお寺」のこと。現在では葬儀や法事などを執り行う「お付き合いのあるお寺」という意味になっています。
ほうみょう
「お釈迦様の弟子になり、仏教の教えを聞き続けていきますという誓いを立てて、いただく名前です。男性は「釋◯◯」、女性は尼の字が加わって『釋尼◯◯』となります。カトリックなどで洗礼を受けると「クリスチャンネーム」がつけられますが、それに対し法名は「ブディスト・ネーム」などと呼ばれることもあります。
ほうおんこう
浄土真宗を開かれた親鸞聖人の御命日(11月28日)に行われる行事です。講とは元々「人々の集まり」のことを言いますが、大切な教えを伝えられた親鸞聖人の「恩に報いる集まり」と意味を込めて、このように呼ばれます。
おうじょう
浄土真宗では極楽浄土に「往き生まれる」ところからこのような字で表されます。通常「大雪で立往生した」などの困ったことの代名詞のように使われますが、本来はとても大切な言葉なのです。
たりきほんがん
日常生活では「他力本願はいけない!努力しなさい!」などと使われますが、浄土真宗では目に見えない大きな力を「他力」といい、「全ての人を救いたい」という阿弥陀如来の大きな誓いを本願と言います。ですから、「阿弥陀如来の大きなハタラキに丸ごとお任せしよう!」ということが浄土真宗の一番大切な教えになるのですね。
こけ
「人をコケにしやがって!」なんて言うときの「コケ」です。現代では「馬鹿にする、あなどる」といった意味ですが、元の意味は「実がない、いつわり」です。早い話、真実でないことです。聖徳太子も「世間虚仮 唯仏是真」とおっしゃてますし。何が真実か、見分けるのは難しいようです。この項目、コケおどしみたいな説明…。
じごうじとく
「業」とは元々サンスクリット語では「カルマ」といい、『自分で作り出していずれは自分に返ってくるもの』という意味です。お釈迦様が仏教を開かれる以前はそのような思想が根強くありました。そんな難しいことは置いといて、部屋の片付けを誰か手伝ってくれませんか…。
いんねん
「因」は起きた出来事のきっかけ、「縁」はそれを促進させるものです。植物に例えればタネが「因」で日光や水、肥料といったものが「縁」になります。この説明が間違っていても因縁はつけないでくださいね…。
かんべん
特に禅宗で使われる言葉です。「勘」は「しらべる」、「弁」は「見分ける」の意味で、相互に見解を試み、悟りの浅深を調べただす問答のこと。早い話、お師匠さんが弟子と個人面接をして、弟子の考えや心を吟味して見極めることです。現代風に言えば「免許取得試験」のようなものでしょうか。その技量と器量が適格と判断されて「免許」をもらうものですから。「許」という字は「ゆるす」ですし、そんな所から勘弁する=ゆるすとなったのかもしれません。ま、なんとなく危うい説明です。間違っていたら、ご勘弁を…。
まかふしぎ
「摩訶」はサンスクリット語「maha」に音を当てたもので、『大いなるもの』とか『優れた』という意味があります。大きいと言っても「大きなビル」などの物理的な意味ではなく、「偉大な功績を残した」などの意味のほうが近いイメージです。不思議は「思議することが不可能」という意味ですから、摩訶不思議とは「まったく思いもつかないほど偉大で素晴らしい」という意味になります。たしか、昔の某アニメ主題歌にもこの言葉があったような…。
いちだいじ
「一大事だ!」と言えば、重大なできごとや容易ならぬ事件の意味で、ちまたでは用いられていますが、これももとは仏教語です。本来の意味は、最も重要なこと、即ち、仏がこの世界に出現する一大目的のことです。極論だけど、私がさとって仏さまになっちゃうてこと。これは確かに「一大事」なことですなぁ。私たちを救済することが仏さまにとっては一番大切なことですから。広く使われるようになったきっかけは、法華経の方便品にある「ただ一大事因縁を以ての故に、世に出現す。」の文だそうです。また、禅宗では「修行の眼目」の意味で用いることがあるんだとか。
しゃり
米粒や白米のこと。特に白米のご飯のことを「銀シャリ」などと言っていましたが、近頃はあまり聞かれなくなりましたね。この舎利という言葉は「シャリーラ」(身体)という梵語の音写語で、特にお釈迦様の遺骨のことを仏舎利(ぶっしゃり)といい、その形が似ているから白米のことを指す、というのが通説です。ところが、別の梵語「シャーリ」は米を意味し、舎利と音写しています。これなら、何もお釈迦さまを持ち出さなくともいいわけですが、お釈迦さまのように米は尊いものだとすれば、シャリーラの方がよい気がします。
しゅらば
「修羅」とは古来のインドの「闘いの神様」のことを言います。ですから修羅場となると、「闘いの繰り返される壮絶な場所」という意味になります。ここでヘタな説明をして修羅場にならぬよう気をつけます。
なぜお仏壇が家にあるのかご存知でしょうか?ご先祖や位牌を祀るため、あるいは祈祷する為にあると思っていらっしゃる方がかなり多いのですが、本来お仏壇はご本尊を安置する場であり、それを家庭用に小型化したもの。阿弥陀如来に手を合わせお念仏を称(とな)え、日々生かされていることへの感謝をする、まさに今を生きる人のための場なのです。浄土真宗ではお仏壇を「お内仏」と呼び、仏像や仏堂を飾ることを「お荘厳(おしょうごん)」または「お飾り」と言います。基本的なお仏壇の飾り方についてまとめましたのでぜひご活用ください。
阿弥陀如来立像をお掛けします。ご本尊は本山からお受けしましょう。(お気軽にご相談ください)
おわきがけ
「歸命盡十方無碍光如来(きみょうじんじっぽうむげこうにょらい)」(十字名号)、または「親鸞聖人」の御影をお掛けします。お脇掛は本山からお受けしましょう。(お手次の寺院にご相談ください)
「南無不可思議光如来(なむふかしぎこうにょらい)」(九字名号) または「蓮如上人」の御影をお掛けします。お脇掛は本山からお受けしましょう。(お手次の寺院にご相談ください)
ほうみょうじく
お内仏の左右の側面にお掛けします。先祖代々お敬いする法名がたくさんある場合、法名軸や折本式の過去帳を用いることもあります。位牌をおかざりの方は法名軸や過去帳にいたしましょう。
※左:合幅(がっぷく)、右:一人用
※過去帳と台
きんとうろう
ご本尊を明るく照らすために点します。
りんとう
左右に天井より吊り下げ、勤行時に点します。報恩講などの法要の時は、輪灯の笠の上に吊るす飾り、瓔珞(ようらく) を用います。
※左:平常時、右:瓔珞あり
うわじょく
火舎香炉、華瓶、仏器を写真のように置きます。
かしゃごうろ
三本足の一本を手前に向けて置きます。
けびょう
水をおそなえる器。水が腐りにくいように樒(しきみ)又は青葉をさします。
ぶっきともっそう
お仏供(おぶく・お仏飯)を蓮の実をかたどり、円筒形に盛っておそなえる器。お脇掛が親鸞聖人、蓮如上人の御影の場合は、その前にもおそなえします。朝の勤行の後おそなえし、正午におさげします。
※盛槽を使っての盛り方
まえじょく
通常の荘厳の場合、中央に土香炉、向かって左に花瓶、右に鶴亀の燭台をかざります。
かひん
四季折々の花をさします。刺のある木・花は用いません。
どごうろ
お香をたく器。線香は立てずに適当な長さに折り、横にねかせます。
つるかめのしょくだい
蝋燭を立てます。ともさないときは朱ぬりの木製蝋燭(木蝋 もくろう)を立てておきます。
きん・りん/れい
勤行のときに打ち、それ以外では打ちません。撥(ばち)は平常、写真のように鏧(鈴)の中におさめておきます。
おふみばこ
御文(蓮如上人のお手紙)を収める箱。
うちしき
お釈迦様が説法された座を荘厳したことに由来する三角形の敷物。 平常時は用いません。
※左:打敷を飾った状態。板と机の間に打敷を挟み、耳を少し脇に出します。右:いろいろな模様のものがあります。
くげとおけそく
供笥におそなえする白餅等をお華束といいます。おそなえの仕方は、法要により様々ですが、お内仏の大きさ、供笥の大きさに合わせておそなえします。
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