当時の歴史
江戸時代初期に初代順能師が信州稻荷山から当地に移り、寺を開創したと伝えている。
当寺は旧三国街道に面しているため、江戸時代には、牧野長岡藩主が江戸参勤の際の、最初と最後の休憩所となっていた。
戊辰戦争では長岡が戦場となったため、本堂を焼失した。大正時代・昭和初期には境内で病院を経営し、薬の製造販売をしていた。
昭和20年8月1日夜の長岡空襲により、本堂・庫裏・法宝物等を焼失した。現在の鉄筋コンクリート造りの本堂は平成5年に再建した。
主な行事
28日講
サンガの会
どなたでもご参加ください。