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【慶讃法要】#2 教区慶讃事業推進委員会 堀川委員長インタビュー

新潟教区で宗祖親鸞聖人御誕生八百五十年・立教開宗八百年慶讃法要が2026年5月24日(日)に新潟テルサ(新潟市)で厳修されます。「慶讃事業推進委員会」堀川委員長へのインタビューの前回からの続きです。

Interview
お念仏がひろまって欲しい(前回参照)ということですが、日頃から感じることがあるのでしょうか?

お念仏が相続されない時代

普段お寺にお参りに来られる方はどの年代の方が多いでしょうか。
70~80代の人だと思います。昔、私が小さい頃は、お寺に30代、40代、50代の方が来ていました。その方々が今70~80代になってお寺に来ているのです。
私のような60代くらいの人は「若手」と言われます。この「若手」の年代の方々は、法事や葬儀などのやり方が分からないと言います。
その親の方々は40代の時にお寺に子どもを連れてお参りしたり、お寺の役員をしたりしたけれども、「若手」の方々はそういった経験がないので分からないですよね。
世代の受け渡しが全くうまくいっていないということです。今は自分の親が亡くなれば、道具も家も処分して、すべてご縁がなくなる時代です。大変恐ろしいもので、財産はおろか、お念仏の心すらも何もかもが相続されない、引き継がれない時代です。仏事やお寺のことは年寄りに全部任せておいて、自分たちは何も関係ないと言います。大切なことは何ひとつ引き継がれていない時代です。

葬儀も最近では「家族葬」が蔓延していて、親戚や兄弟に連絡しないで葬儀を行うこともあります。それはもはや「縁切り社会」じゃないですか。世の中は絆やご縁を大切にと言っているけれども、実際は面倒なことには付き合いたくない社会です。このような社会の中で、私たちは何を表明していくべきかを考えています。

慶讃法要というご縁を借りる

お念仏はなかなか言われない状況になったとは言うけども、もう「南無阿弥陀仏」しかないんじゃないかなというふうに思いますね。
「南無阿弥陀仏」と手を合わせてお念仏を称えることの姿勢、大切さをお伝えしていくしかないんじゃないかと。

前に生まれん者は後を導き、
後に生まれん者は前を訪え

という『安楽集』の言葉が、私たちが今直面している最大の課題だろうと思います。
かといって、一つのお寺で何かすごいことができるわけではないので、慶讃法要というご縁を借りて、そのようなことを皆さんにお伝えできたらありがたいことだと思っています。

Interview
能登地震の影響もあると思いますが、新潟教区としてどのような慶讃法要にしたいですか?

お念仏の力はある

慶讃法要は、宗祖の御誕生と立教開宗を慶び讃える法要ということですが、何も浮かれて法要をするということではありません。法要をご縁としてお念仏の大切さに気づいてもらえれば良いと思います。

昨年11月の本山の報恩講で、能登のご門徒の方とお会いしました。お話を聞くと、ご自身はもちろん、ご住職も仮設住宅に住まわれているということでした。「これまでお仏壇やお参りなど競うように大事にしてきたけれど、今では神も仏もありません」ということを言われました。
そのような状況であるにもかかわらず、わざわざ本山までお参りに来られているのです。
そのような人とお会いして、「お念仏の力はある」と思いました。ですから、今のような状況でも慶讃法要をおつとめする意義は十分にあると思います。

お念仏を拠りどころとして

私たちは無常の世界で手探りの毎日を送るしかない存在です。だんだん歳をとると、よくわからない状況が何となく身に染みてくるんですよね。新潟教区の慶讃法要が「南無阿弥陀仏」を拠りどころとして歩んでいくきっかけになればいいなと思っています。

法要自体は、正直言いまして一つの通過点でしかないと思います。法要は何かを大きく変えるもの、勤めたら何かが大きく変わるわけではありません。
この通過点をご縁として、宗祖の明らかにしてくださった本願念仏のみ教え、「南無阿弥陀仏」を拠りどころとして生きていく社会というものを少しでも分かって欲しい。そういうものが私たちのところへはっきりと届いているんだということを実感できるようになって欲しい。そんなことを思います。

Interview
慶讃法要には、兼業の方を含め、教区内の多くの方に参加していただきたいですね。

忙しくても参加したいという気持ち

私が教職員の時は、忙しくて本山や別院にあまり行っていませんでした。
しかし、退職後に本山の御遠忌に出仕して以来、本山や別院でかなりの数の出仕をしました。そして出仕が好きになりました。
法要というきっかけによって、それぞれの心の中でどういう気持ちになるかでしょう。どれだけ忙しい人でも、どうすれば法要に足を運んでもらえるようになるかは皆さんで考えていくしかないですよね。
兼業の方もたくさんいらっしゃるので、そういう方々のご意見を集めて法要を厳修させていただくということしかないと思います。

兼業の難しさ

兼業の方は、お寺で働き、会社でも働いて、それはもう1年365日働いているようなものです。どうやったら参加してくれますか、と言われても厳しいですよ。
私も兼業でしたが、まず会議の時間が合わない。夕方や夜の会議だったとしても参加する気にならない。会議に出ても、何度も何度も同じことをやっていて、毎回同じ問題が出てくる。そういうことをやっていると、次からはもう行きたくなくなりますよね。

出てきた問題はしっかり反省して、あるいは見直しをして検証する必要があると思います。普段の行事でも「終わって良かったね」で通り過ぎていくことが多く、検証が足りないと思います。
ですから行事への参加を見切った方は悪いかもしれないけれども、見切られた方も悪いんです。時間だけの問題ではなくて、内容的な問題もあります。その内容が世間と乖離しすぎていると、見切られてしまうのです。

#3に続く

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