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2025年度 男女平等参画専門部会 専門講座(報告)

男女平等参画専門部会より開催報告

 2023-2025年度男女平等参画専門部会は、この3年間、「専門講座」や「基礎講座」を開催してきました。「専門講座」は、この部会専門委員に向けた学びを中心として、取り組みの意義を確認するとともに、自らも発信力をつけることを目指しました。「基礎講座」では、どなたでも参加可能できるので、宗門はじめわたし達の身の回りに起こり得る差別問題、その課題をたしかめ、その学びを目指しました。今期、最後の「専門講座」は、寺院関係者限定の学びの場として、宗門の教え(仏法)から見える差別問題に問いかけ、参加者で座談を行いました。

・2026年5月19日(火) 男女共同参画専門部会「専門講座」講演会は、新潟教区高田別
院お食堂において開催され、参加者数は14名でした。
・講 題 「真宗の教えから考える差別問題」
・講 師 19組 明誓寺(みょうせいじ)ご住職 田澤 一明 氏 

【講 義】
(1)差別とは何か。

・広辞苑に明記されている解釈が一般的に取り扱われている。差をつけてとりあつかうこと。わけへだて。正当な理由なく劣ったものとして不当に扱うこと。
・差別を取り上げていた人にチュニジアの小説家、アルベール・メンミ(1920-2020)『差別の構造』(1971年)がある。
・差別される側からの差別に部落差別がある。
・差別問題の背景に、差別されてもいない、差別していない、そして、差別、いじめはいけないことを感覚で知っている。
・是旃陀羅(ぜせんだら)問題は、100年くらい前から提示されてきたが、教団や私達誰もが当事者意識をもっていない、つまり、無自覚でいる。

(2)仏教と差別問題どのように受け止めて、どう扱うのか。
・仏教における教え・・・人間は苦悩まみれ、人間の解放が教えである。
・差別の抑圧的な問題とどう向き合うか。教えが伝わるには、その人が自分を尊重、平等に接してくれる、そういうことから教えが伝わる。教えと差別問題は、別々になっているが、本来は、別々の問題ではないのではないか。
・四十八願は、人間の本当の苦悩からできた“願”である。人間の問題は差別であり第一~第四願にとりあげられている。

(3) 差別を解体する根拠としての「存在の尊厳性」、「存在の平等性」
-「釈尊の誕生偈」を媒介して-
誕生のことばとして釈尊の「天上(てんじょう)天下(てんげ)唯我独尊(ゆいがどくそん)」という生まれたときに尊厳されている。われ一人にして尊く、その人がある。存在に無限の尊さがある。

(4)親鸞聖人における「存在の尊厳性」、「存在の平等性」の表現
「御同朋・御同行」-『御文』第一帖第一通の言葉を手がかりとして-
聖人は御同朋・御同行とこそかしずきておおせられけり。(真宗聖典第二版p921-922)教えの真髄は、どのような人でも平等にかしずいていた。あなたがたが往生極楽の道、そのことのために念仏をもうす生活をしなさい。同朋社会尊厳を持つ。

【座談】
1.差別しているつもりも差別されているつもりもない。
2.差別と区別の違いは何か。→差別が人権にかかるもの。
同胞:血縁関係、争いごとが生まれる
3.真宗における平等と一般的に考える平等には違いがある。
本当の意味での平等とは何か。
この会の「柱」は、「誰一人差別されない真宗の教えの要から、男女問題を通して現代
を考えていく」ということと考える。

【講演を聴いて所感】
 真宗の教えと差別問題は、とかく別々に問われていますが、本来は並列に問われるてもよいものではないか。教えの真実性に「御同朋・御同行」と表現されるが、何故か、その表現に違和感を覚えていました。お念仏を申す人たちは、真宗門徒さんだけなのかしら、そうでない人たちも仏道における平等の友であると言えるのではないだろうか、「御同朋・御同行」の解釈に真宗という区切りとして覚えていました。そんな思いもあり、悶々としていました。今日のご講義の中に、2021年4月慶讃法要お待ち受け大会記念で池田勇諦氏のご法話でそれについて話されていました。

「ご法要から私たちが願われている、要請されているのではないのですか。何が要請されているか。それこそ今申した「回帰」、南無阿弥陀仏のこのいのちに回帰する、根源的連帯に帰る、この一点です。なぜ、この一点が強調されねばならないか。(省略)本当に根源的連帯に気づかさせていただくと、世界は同朋世界なんです。社会は同朋社会なんです。これからつくるという話じゃございません。すでに、同朋世界、同朋社会に、私たちは生かされている。それを自我に生きる今日の私は、限りなく差別の世界、差別の社会とつくり変えて、自損損他し合っている、この現実、それがあふれ出されてきます。だからこそ、根源的連帯に回帰にしたところに始まる真実の生き方とは何かといったら、その現実と切り結んでいく歩みです。それこそが本当に南無阿弥陀仏のいのちを知らしめられた者の、まことの生き方、具体的な生き方でないのか。しかもその歩みの他に「同朋社会の顕現」ということの証しはないに違いありません。(続く)」
このご法話にふれて、もやもやがすっきり消えました。
 
 最近では、世界で戦争が多発しています。人間は、過ちを繰り返していることにこころ晴れずにいます。これをお読みなった皆様に差別について、お考えの機会になればと思います。
(記録担当 高田13組稱念寺 金胎芳子)

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