ブログ

2025年度 男女平等参画専門部会 基礎講座(報告)

2025年度新潟教区男女平等参画基礎講座 開催報告

 2025年度新潟教区男女平等参画基礎講座が2026年4月22日(水)、新井別院において、第7組との共同で開催されました。参加者総数は60名。新井別院の清掃講の後でしたが、多くの方が疲労の色を見せずに参加してくださいました。

 講師の藤場芳子氏は、金沢教区、常讃寺副住職であり、解放運動推進本部女性室元スタッフです。サラリーマン家庭に生まれた藤場氏は、大学を卒業し、就職するときに、女性は社会から期待されていないと感じたそうです。結婚後、寺に住み聞法を始めますが、同時に、差別的な教団の現実を目の当たりにし、3人の娘達の世代への問題の先送りを避けたいと、教団組織にも関わってこられました。
 男女平等参画専門部会の「同朋として歩むために」のテーマのもと、「(ひと)(ひと)のナムアミダブツ~私のモヤモヤはどこからくるのか~」という講題でお話しいただきました。

【講義概要】

平等とは、今ある差別を撤廃するということ。そして差別とは私の生活と関係があるのか、私の中にある差別心と教えを聞いていくことはどう関係しているのか、考えていきたい。

●「同朋」ということについて。

・御文には「聖人は御同朋・御同行とこそかしずきて仰せられけり」とあるが、「かしずく」には尊敬の念を持ってという意味が含まれる。

・三帰依文には「衆生と共に」とあり、生きとし生けるものすべてのものと共にと言っている。

・仏光寺派の御絵伝には、六角堂の境内に、罪人もしくは非人と呼ばれた人、傷や病気のせいで顔を布で覆わざるを得なかった人、手足がなく胴体だけの人、遊女、そして子供に乳を飲ませている女性など、様々な弱い立場の人々が集まっている様子と、その人らに目を向ける親鸞聖人が描かれている。

 同朋とは同じ命を生きるもの。差別・排除されている人、見えない存在・光の当たらない存在に、同じように心を向けていく。私たちはそういう教えをいただいている。

 同朋会運動は開かれた寺を目指したが、良いところばかりではなかった。他人を裁いていくのではなく、自分はどうなのかと如来の智慧をもって深く掘り下げる、それは大事なことであるが、そこに重きを置きすぎたため、社会との接点が弱くなり、世間の様々な問題を置き去りにしてきたという面もある。

●「普通」「当たり前」「べき」

 男女または坊守と住職、それぞれに期待される「らしさ」があり、「べき」を押しつけられる。私たちの中にそういうものは染みこんでいて、周りから強制されるだけでなく、知らず知らずに自縄自縛となっている。

 怪我をして病院に運ばれてきた少年を見て、外科医が「私の息子だ」と言ったが、その外科医は少年の父親ではない、どういうことでしょう?というクイズがある。答えはその外科医は少年の母親だったというものだが、私たちには外科医は男性という先入観があるので、多くの人は考え込んでしまう。

 アインシュタインは「常識とは人が18歳までに身につけた偏見である」と言っている。私たちの考える「普通」「当たり前」は、過去の経験や育った環境に基づいた思い込みであることも多いが、普段そんなことには気付いていない。

●区別・偏見・差別

 区別は、価値の優劣なしで差異によって分けること。偏見は、経験や知識をもとにした固定観念や思い込み。好き嫌いの感情が伴う。差別は、偏見に基づいて特定の人たちに不当な扱いをすること。これは、排除や制限、主従、そして笑うことも含まれる。「沈黙は同意、笑いは共犯」は上野千鶴子氏の言葉だが、誰かが不当に貶められているとき、周りで黙って見ている人達がいる。人前で発言するのはたいへんなこと。声を上げたくても上げられないのかもしれない。でも黙っている自分でいいのだろうか。

 そして特権というのは、特定の集団に属していることによって、労なくして得る優位性のこと。持っている側にとっては当たり前のことだから、見えない、見えにくい。例えば、障害のある人がJRを利用する際に、前もって電話で予約することを、障害のない人は思いもよらないだろう。健常者、高所得者、高学歴者、異性愛者などは、自分たちの持っている特権に気付いていない。

●名もなき家事

 やってもやっても終わらない名もなき家事。24時間、絶えずあらゆることに気を配っていても、大抵は無償労働である。性的役割分担の考えは根強いが、今まで正しいとか当たり前だと思ってきたことは、もしかすると違うかもしれない。モヤモヤ感じていること、それは何故モヤモヤするのか、モヤモヤしていることを何故言わないのか、言えないのか、考えてみてほしい。お互いの仕事を知れば、思いやることもできる。

●現実・平等・公平・公正

現実・・・ありのままの事実、スタートライン。個人の努力ではどうにもならない格差。

平等・・・全員に一律に同じものを与えること。個人の特性や状況を考慮せず、すべての人を一律に扱う。例:背の高い人も低い人も、同じ高さの台を与えられる。

公平・・・個別のニーズに応じる。結果的に全員が同じ機会や利益を得られるように調整する。

例:背の高い人は低い台を、低い人は高い台を与えられ、全員が同じように試合を見る

ことができる。

公正・・・不平等の原因となっている構造やルールそのものを見直し、是正すること。

   例:障害物である高いフェンスをなくし、誰もが台を使わずに見られるようにすること。

●今後に向けて

南無阿弥陀仏を申す私たちが行くところは、浄土論に「普くもろもろの衆生と共に、安楽国に往生せん」とあるように、私一人喜ぶ信心の世界ではない。

テニスプレイヤーの大坂なおみさんは「あなたが差別されていないからといって差別がないわけではない」と言った。

私には関係ないではなく、隣の人はどうなのか、困っていないのか、課題共有できればいいと思う。一人ひとりが、気付いたこと、大事だと思うことを言っていくべきではないか。

女も男も、本音で、法話の中でも語って欲しいと思う。

【所感】

 日頃私は、自分の立場、坊守であり女性であることで、不利益を被っていると考えていました。でも差別は身近にもっともっと溢れていて、苦しんでいる人が沢山いる。私は日本人として日本で暮らし、危険を感じることなく一人で好きな場所へ移動ができる。理不尽だと思えば、それを表明する手段もあるでしょう。それらが特権だということ、特権を持つ側は見えていないという藤場氏のお話はとても衝撃でした。そして男女平等とは、それは特別なことではなく、真宗の教えを聞いていくことだと実感しました。人として生まれ、仏法に出遇えた私。人として生きるということが、差別と向き合っていくことになることを教えていただきました。
(第23組 長行寺 野々原昌美)                                                                                           

© 2023 Niigata Kyoku.