
2024年度男女平等参画専門部会の基礎講座が2025年5月14日(水)、新発田市生涯学習センター多目的ホールにおいて、第22、23組との共同で開催されました。参加者総数は、36名と多数のご寺族、ご門徒さんの参加をいただきました。
講師は、日本思春期学会理事、浄土真宗本願寺派僧侶である古川 潤哉(ふるかわ じゅんや) 氏(浄誓寺 佐賀県伊万里市)をお招きし「こどもたちのジェンダー問題 -生と性と死から考える- 」という講題でお話いただきましたので報告いたします。
【講演概要報告】

ジェンダー問題という言葉の認知は広まってきたが、その内容の認識と理解度はバラバラでその差も大きく乖離があり、まだ当たり前になっていない。そもそもジェンダーとセクシュアリティが混同されているそこが課題であると話されました。講師自身はセクシュアリティ(性別、性の個人的ありようのこと、その社会的な扱い)を専門とし、「生と性と死」をテーマにされていることの取り組みについて述べられました。一つには、子どもとお寺の関わりで、教化することを道徳にすり換えて表面的な宗教的態度だけ伝え、救いとは何なのかをきちんと伝えきれていない。失敗の中からも立ち上がって生きていくための何かがあるということを知ってもらう取り組みの一環として、講師自身は、性教育に関わっている。日本ではまだまだ正しい性知識が共有されていない。教育以前に政策としてもきちんと教えない風潮が根付いている齟齬を指摘された。二つには、性教育の基本について、いのちの話として説明することや生きる教育と性の教育をきちんとお話できるのは、宗義からして真宗系でしかできない教育と考えると話されました。
世界的には「包括的性教育」が、5~8歳を推奨される年齢としてスタートとしている。国際セクシュアリティ教育ガイダンス(UNESCO などが策定)では、性教育について「知識とスキルのみならず、対人関係、リスペクト、回避など、生きる力として幅広く包括的に学ぶよう取り込む」ことを目指している。浄土真宗では性の問題は排除しないが神聖化もしない。日本の性教育は遅く、狭いことが問題であると指摘されました。
セクシュアリティとは、性や性別の個人的ありようのこという。1.生物学的性 生まれついての身体の性、多くの場合戸籍上の性 2.性自認 自分が思う自分の性、自分自身の性別の認識3.性指向(嗜好、志向ではない)性的な意識の向う先 これらはどれも自分で主体的に選択できるものではなく、他者からもあれこれ言われるものでもないことと説明されました。
セクシュアルマイノリティ(性的少数者)は、セクシュアリティが社会の多数派に対して少ない側に属する人のことを指すが、少数であること自体が問題ではない。
ジェンダーの問題は、性別による役割や振る舞いの社会的なありようのことである。または性差による扱いの社会的な概念である。 この三つは関連する話でもあるが、それぞれ異なる問題意識に基づく話である。セクシュアリティ、ジェンダーの問題には差別が含まれる人権の課題であることを踏まえて考えていく必要がある。
LGBTQとは、L:レスビアン(女性に惹かれる女性)、G:ゲイ(男性に惹かれる男性)、B:バイセクシャル(両性愛者)、T:トランスジェンダー(性別違和)性同一性障害 ➡ 性別違和、Q:クエスチョニング クィア(性自認や性的指向が定まっていないなど)➡ 多様 この表現は分類ではなく、性的少数者全般を指す指示語として用いられるものと説明されました。
一般的に伝統宗教は性的少数者を否定すると思われがちだが、仏教では、性の多様性を否定していない。お釈迦さまの時代の記述にも性的少数者に関するもの、そしてその悩みが認知されている。
全日本仏教会も性の多様性のシンボル、レインボーカラーと合掌のデザインのステッカーを用いて少数者の人権擁護に努めていることを紹介されました。

最後に、西本願寺のスローガンである「自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現」、それは、多様性を認め合う社会の実現と言える。自分自身が多様性の一部であることを自覚しなければならない。
近年、国際的にはSOGI(ソジ)と表現する・・・・・誰かではなく、私の話である。
Sexual Orientation 性指向 どのような性を恋愛対象とするか、しないか
Gender Identity 自分の性をどのように認識するか。
セクシュアルマイノリティに関する取り組みとして求められているのは、差別や攻撃をなくすための取り組みであり、当事者が理解促進などを求めているわけではなく、わざわざ否定したり攻撃したり権利を阻害したりしないでほしいということであると話されました。

【座談】
- 理解してきたつもりだが、講演を聞いて、認識を改めた
- 幼い子どもの性教育について、どう向き合ったらよいのか
- これまでジェンダーについて、理解できていなかった
- 苦しんでいる人に寄り添って行きたいが、道徳的な話をしてしまうことを見直す
- 学校で性教育について、行われていないこともあり、理解できていない分野
- まわりに小児性愛、LGBTQのような方を知らないので、接し方をどうしたらよいのか
【講師のお答え】
➡ あまり意識しなくてよい。身構えなくてもよい。緊張しなくてもよい。特別に何かなくてもよい。明かしてもらえている場合、先方にどうして欲しいか尋ねること。
➡幼児への性教育は特別、教えなくてもよい(無理矢理にできることは少ない)。普段の生活から伝わる。
【講演を聴いて所感①】
このテーマについて、私自身が認識していたこと、理解していたことは、単に寄り添うこと、認め合うことの一方的な勝手な解釈であったことに気づきました。多様性の重要性を問われていますが、私自身がその一部であり、私の話でもあることを知り驚きでした。セクシュアリティ、ジェンダーの社会課題が明確になり、これからの向き合い方や取り組みを導く有意義なお話でした。(記録担当 高田13組 稱念寺 金胎芳子)
【講演を聴いて所感②】
浄土真宗の教えが、どの宗教にも先駆けて「生」と並んで「性」の問題に向き合ってきたのかを教えて頂いたと感じています。人はそれぞれ違う悩みを持っていることは誰でも分かっていることだと思います。しかし、その悩みにどれだけ寄り添えるか、道徳に置き換えないで、どれだけ向き合えるか、宗教者として大きな課題と目的を教えて頂いたと受け取りました。(部会長 第3組 浄念寺 石井陽子)